源平屋島合戦では、義経側がせいぜい300騎程度の軍勢でしかない。迎え撃つ平家側は、人数で遥かに優位に立っていた。それで何故、無残な敗北を喫したのか。
 「むろん平家側に、何度も勝てるチャンスがありました。義経の奇襲攻撃が、少人数であることが判明して、平家側は勢い付きました。しかし、夜襲ひとつ掛けるにも、先陣争いの議論ばかりして、時機を逸してしまいました。公家や武士たちの寄り合い集団で、みすみす好機を逸したのです」と、小比賀氏は地域の"平家贔屓"を代表して解説してくれました。
 源平合戦の跡地は、瓜生が丘の風景を写真で見る通り、ことごとく新興の住宅街に変身してしまった。紹介した史跡の数々も、住宅街の中で埋没状態だ。合戦からすでに800年以上も経過して、致し方ないかもしれない。史跡保存のために官民挙げて"歴史環境づくり"に励んで欲しいと、訪問者は一様に願うだろう。
 「屋島地域は今、完全に高松のベッドダウンになりました。それも支店長や工場長といった高級サラリーマンの社宅が揃い、全体に資産家が増えてきました。地域の発展で貯金や保健の成績は悪くありません。ただ源平合戦の歴史が、やや風化の兆しがあり、若い人たちの関心が薄いのが心配です」と柏原郵便局長は指摘している。

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